神河町は往古より播磨と但馬を結ぶ要衝の位置にありました。旧石器時代には人が暮らしていたと推測され、縄文時代、弥生時代にはすでにすでに集落が作られていたことが遺物出土によりわかっています。さらには奈良時代に使われたと思われる窯跡も見つかっており、その出土品から播磨国風土記に述べる「はにおかの郷」波自加村の比定地と推定されいます。播磨地方では最も古い早期縄文時代の遺跡地とあって遠方からの考古学ファンも訪れる場所となっています。
福本遺跡が認知されたのは戦前にさかのぼります。1952(昭和27)年、飾磨高校教諭だった姫路市の故増田重信さんが、土器のかけらを見つけました。竹などを押して模様を付けた縄文早期の「押型文土器」。播磨地域では初めての発見となる縄文時代の遺跡だったそうです。
今回は国道312号線からの道順をご案内します。携帯の地図アプリには載っていないこともあるので、訪れる人の参考になればよいと思います。
*『播磨国風土記』(はりまのくにふどき)は、奈良時代初期に編纂された播磨国(現在の兵庫県付近)の歴史などを記した地誌です。古代播磨地方の山や川、野原や数々の村をめぐる由来や、各地の地名のいわれ、 土地の様子などが書かれています。平安時代末期に書写された写本が国宝に指定されています。
まず、豊岡方面を背にして国道312号線、福本東近くのホームセンター「ジュンテンドウ」を左に入ります。
小さな看板がありますが見落としやすく、ホームセンターの方が目に入りやすいと思います。向かい側はローソンです
道が狭いので対向車に注意しましょう。
別れ道にぶつかったら右へ。
どこまでも続く気がする山道。「本当に辿り着けるのか」と心配になるかもしれませんが、ほぼ1本道(3回ほど右に曲がるだけ)なので大丈夫。
右手に池が見えてきました。その向こうの芝生の広がる辺りが福本遺跡です。
T字路にぶつかったら右へ。案内板がありました。
今度は下り坂を進み、右に曲がったところが福本遺跡ですが、その入り口が大変わかりずらいです。そのまま下っていくと実は国道312号線にぶつかるようでした。(看板がありますが、裏側になっています!)
そちらから上がって来た方が断然早かった! 国道312号線「福本」のバス停のすぐ横の道を山側に入る感じです。
着きました! 長かったように感じますが、国道から入ってゆっくり走り5分ぐらいでした。入ってすぐのところに休憩場所兼お手洗いがあり、壁に貼ってある資料を読むこともできます。
福本遺跡の調査はたびたび行われ、特殊な機械で地下の状況を探る”探査”がされたこともあるようです。それらにより瓦を焼いた窯跡が7基見つかっており、なお調査は続いているようです。
かなり広い芝生広場。きれいに手入れされていて清々しいです。まわりの山々の景色もGOOD。
見晴らしのよいところにある復元された住居跡。屋根は立派な茅葺きで、地元のボランティアが手入れをしているそう。中は結構広くて、入ってみることもできます。
眺めのよいところにベンチが置いてありました。古の人々の暮らしに思いを馳せ、しばし休憩をしてみてもいいかもしれません。
瓦を焼いたという窯跡もあるとのことでしたが、残念ながら見つけることができませんでした。
神河町では歴史観光ガイドも行っていますので、神河町の歴史をもっと知りたい人はこちらに申し込んでみるといいでしょう。