【10月6日】第5回神河ヒルクライム開催予定!

【銀の馬車道・銀の馬車道交流館】生野銀山から姫路・播磨港へ続く49㎞の「銀の馬車道」。明治時代に整備されたこの道はかつて多くの人や馬車が行き交いました。現在も残る史跡を辿ってみると往事の繁栄を偲ぶことができます。

銀の馬車道は全行程約49㎞。神河町内にもこのうちの猪篠から福本までの約10㎞にその痕跡が見られます。

中でも中村・神河町粟賀にある「かみかわ銀の馬車道街道」は歴史を感じる町屋や民家、造り酒屋などが残っており「銀の馬車道沿線地区の中でも最も連坦して歴史的町並みがよく残っている地域」として評価されています。

【竹内家住宅】かつて神河町の商人であり町の地域の盟主であった家。屋敷の玄関にある部屋は,茶,醤油,酒など含む商品を売る店舗として使われていました。屋敷の裏には製品を保管する4つの倉が建っていたといわれます。「仙霊茶」として知られている特別な種類のお茶を売っていて、今日でもその伝統を引き継いだ会社が地元の特産品として「仙霊茶」というお茶を生産しています。

【旧難波酒造】旧難波酒造は1865(慶応元)年創業の造り酒屋で、木造2階建ての主屋はその頃の建築とされています。2018年3月、神河町で初めての国登録有形文化財に指定され、同8月に、宝寿会が障害者の自立支援を目的に取得しました。正面の出格子や虫籠窓(むしこまど)など伝統的な町家の意匠を残した建物となっています。2020年にはカフェレストラン「春夏秋冬」がオープン。ジビエや旬の野菜など地元でとれた食材を使ったランチなどを提供しています。

【風情のある小窓】住宅の壁や塀に細い木で模様がデザインされた窓。遊び心があって作った人のセンスが伺えます。

【改修した民家】街並みの歴史的景観を崩すことなく改修された民家です。屋根の瓦で街並みの統一感が出されています。

【屋台蔵】普段は扉が閉まっていますが秋のお祭りには全開されて屋台が見られます。

【粟賀驛の道標】江戸時代、「かみかわ銀の馬車道街道」付近は丹後・但馬へ向かう道筋が交わる要所で中継ぎの馬を供給する所でもありました。明治初年からは馬車道がこの町を通り、1894年(明治27年)に飾磨寺前間の播但鉄道が開通してからは、ここを発着場として鶴居駅までの乗合馬車が運行されていたことを示す史跡です。

「かみかわ銀の馬車道街道」の中心とも言えるのが「銀の馬車道交流館」です。内部には銀の馬車道に関する貴重な資料が展示され、より深く学ぶことができます。

館内には発掘当時の写真や銀の馬車道に関する資料がパネルや模型で展示されており、充実した資料館となっています。

小学生でも読みやすいイラストを使ったパネルでの案内もあるので、容易に「銀の馬車道」の歴史などを知ることができます。。

ビデオコーナーでは神河町以外の「銀の馬車道」の知識を得ることもできます。ソファに腰かけてのんびりと休憩しつつ「銀の馬車道」の全体像を観てみては?

実物大の馬や馬車の模型も。なんと馬の背に乗ることが可能です。かつては馬が荷車を引いて「銀の馬車道」を頻繁に往来していました。当時の街道の雰囲気に思いを馳せ、馬に乗って記念撮影をしても楽しいかもしれません。

「かみかわ銀の馬車道街道」をさらに朝来方面に進むと旧道沿いの山肌に「いぼ地蔵」があります。祠のすぐ前の岩から少量の水が流れ出ており、これをいぼにつけてお願いするとイボがとれるとの言い伝えがあります。

場所はちょっとわかりにくく、法楽寺下にある左手の道を入りかなり進んだところにありました。

いぼ地蔵の付近の旧道は銀の馬車道が活躍していた当時を色濃く偲べる所でもあります。

*そもそも「銀の馬車道」とは

室町時代に本格的な採掘が始まり、昭和48年に閉山されるまで長い歴史のあった「生野銀山」。明治初期には殖産興業の名のもと列強諸国に追いつき追い越せと多くの銀の供給が求められました。当初は鉄道輸送も検討されましたが、あまりにも巨額の費用がかかるため断念。次に市川を舟によって運べるかも調査しましたが、川幅が狭いところがあり、さらに渇水期の水量不足が問題となりました。そこで整備されたのが、但馬・播磨を南北に貫く道でした。明治新政府の産業発展を願う人たちの尽力によってこの偉大なプロジェクトが実現したのです。

明治政府に雇用されたフランス人技師であるレオン・シスレーはヨーロッパで普及していたマカダム式舗装(粗石・小石・砂利石の3層から成る構造)はじめ、最先端の技術と工夫をとり入れた馬車道の建設を監督。内陸の生野鉱山から瀬戸内海に面した飾磨津まで、約49kmの全行程において、高低差を少なく、勾配には屈曲を設けて緩やかにし、より速く、より安全に行き来できる、水はけの良い丈夫な馬車専用道路を整備し作り上げたのでした。総工費や立退料、技師への給料などで、現在のお金に換算すると35億円にもなると言われます。

日本最初の舗装道路とも言われるこの道は当初「生野鉱山寮馬車道」と言われ、銀や日常物資の運搬で沿道は大いに賑わいました。後に「銀の馬車道」と名前は変わり、道は生活道路へと変貌しましたが、沿道に残る建物や道しるべなどから当時の面影を偲ぶことができます。

生野銀山から明延鉱山に至る道が「鉱石の道」と呼ばれる道です。この二つの道「銀の馬車道・鉱石の道」が2017年に文化庁より日本遺産として認定されました。国内最初の産業高速道路として建設され、馬車道跡や明治期の宿場町の面影を残した旧家や街並みなどがの魅力が認められたものです。銀の馬車道に鉱石の道を加えた「銀の馬車道・鉱石の道」は約73㎞にも及びます。

*シスレーのバラ

レオン・シスレーは、出身地リヨンで園芸家として活躍し様々な園芸・農業関連の雑誌の発行に携わっていた自分の父親であるジャン・シスレーに生野から日本のノイバラの種を送りました。この種は父親の友人の手によってフランス向けに改良されフランス中に広まっていきました。東日本大震災を契機に約140年ぶりにフランスから兵庫県に”里帰り”したバラは「絆」と命名された後寄贈され、姫路市や朝来市生野町の交換内の庭園などに植えられました。

生野町ではの銀の馬車道の出発地(生野銀山)より神河町との境界である生野峠までの約7kmの沿道に植栽していく計画があるそうです。

           シスレー縁のバラを銀の馬車道に植えよう

神河町にも「絆」の鉢植えが銀の馬車道交流館前に置いてあります。季節になると薄ピンク色で濃厚な香りのバラが花を咲かせるとか。楽しみですね。

先人の志と努力が結晶したとも言える「銀の馬車道」。ぜひ「かみかわ銀の馬車道街道」を散策し当時の雰囲気を味わってほしいと思います。

 

施設名銀の馬車道交流館
住所兵庫県神崎郡神河町中村78
電話番号0790-32-0295(銀の馬車道交流会運営協議会事   務局)
営業時間10:00~15:00
定休日月曜~木曜、お盆、年末年始
URLhttps://www.gin-basha.jp
(銀の馬車道ネットワーク協議会)